経済の本質って支え合い


経済の本質って支え合い、だと思うんです。みんなが好きなもの、欲しい物をお金や商品、サービスなどと取引して、そしたらみんなハッピーになれるよねっていう仕組みと言うんですかね。そういうメカニズムだと思うです。

若い頃は、「俺、資格取ったぜ、俺賢い、ひゃっはー!」「俺、高学歴エリートだぜひゃっはー」「俺ってこんなことできるんだぜ、すごくない?ひゃっはー!」みたいな感じになりやすいんですけど、誰もが歳をとると「落ち着きます」。


あれ?なんか生きるって「誰かの役に立たないと、意味なくないか?」みたいなことに気づいて落ち着く。自分がいかに有能だとか、優秀だとか、そんなことを自慢することがいかに意味がない・価値がないことに気づく。

そして、「人の役に立つ」のが仕事である、ビジネスであると考えた時、一般的には「優秀性や有能性がないと人の役に立てない」と思われがちですが、例えば「悩んでいる、困っている、苦しんでいる。そういう人の心に寄り添う」だとか、「人に深く共感する」だとか、「親身になって手伝ってあげる」だとか、そういうことに気づいて、大きな付加価値をつけれるようにすると誰だって誰かの役に立てることに気づけます。そして、ビジネスチャンスはいくらでもあることに気づきます。

「はたを楽にする」が働くの語源だそうです。まさにその通りでしょう。不労所得なども、その「はたを楽にする」のが単に自分の体から切り離されたり、肉体的・時間的制約を超越しただけ、レバレッジがかかっただけです。

スキル、資格、学歴にフォーカスするのはいいんですけど、それらが最終的には人に役立つというところに向かわないと意味がないことにはなるべく「若いうち」から気づいておいた方がいいと思います。若くして成功している人間に、わけのわからない自慢話や自己顕示がない・少ないのは、それに気づいているからだと思われます。

「人の役に立つ」というのは、必ずしも優秀性や有能性だけの世界ではない。共感とか、自分なりの視点・知恵とか、困っている人の立場を経験したからこそ気づく細かい点だとか、そういうところに付加価値をつけるポイントがたくさんあるはずです。そして、人それぞれ、個性や特性があり、できることできないこと、好きなこと嫌いなことがあります。そんな人間が複雑に入り乱れて、支えあって出来ているのが経済社会です。

商売を無意味に複雑にしてはいけません。生きるということをむやみやたら複雑にしてはいけません。

まずは、自分が助けられる人間を特定してみてはどうでしょう。目先の人間に救いの手を差し伸べられるかどうか、という視点を持ってみてはどうでしょう。一人の人間を助けられる、これがだんだん束になって、1対多になっていくのがビジネス・事業・商売だと思います。相手にする人間をシカトしないことです。経済的困窮に陥っている人は自己中な人が多いです。